【経営学】Corporate Accountant Issue 経理部問題

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 テレビでホリエモンが話していたが、彼は宇宙関連事業の会社に投資したことがあったらしく、そのとき宇宙には地球で希少で高価な金属が豊富な小さな岩のような星があるらしく、それを地球に持ち帰るだけで何百億円にもなるということを話していた。

 

 この話からわかることは、彼は投資をするときお金が第一目的であるということである。例えば、世の中を良くするとか、変えるとか、社会の豊かさに貢献するとか、そのような他者への愛情から発生するような動機ではなく、自己愛からくる自分が得る金銭的利益を第一目的としているのである。そのあたりは昔から拝金主義なままである。

 

 彼はその会社に53億円投資したということなので、お金はすでに十分あるはずである。これ以上お金を稼いでどうするのか。と個人的なジェラシーを出してみた。
 稼いだお金で何をしたいのか、そのお金でまた延々とお金を稼ぐのかということである。お金は何かに使うためにあるはずであり、ただ大量に保有するためのものではないはずである。

 

 通常、お金を稼いでいく中で、経営者は世の中のことを学んでいくはずである。たくさん稼げるようになるためには、社会に対してものすごく貢献する必要があって、他人や社会に対しての愛情がなければならないし、それがお金儲けの原点というか一番大切な事であると、気づくはずである。そうでなければたくさん稼げないからである。

 

 そのあたりを彼は気づいていないようである。それでも大金持ちになれたので、そこがIT成金として社会から嫌われる原因であるし、IT経営者やITそのものの社会的評価を下げる原因でもある。先見の明があり、株式上場の努力と精神力があったのである。

 しかし、経済学の創始者アダム・スミスは、
「利己的欲望は社会のエネルギー源である」
と言っているので、彼の利己的な欲望も否定されるべきではない。勧められるものではないが、許容されるべきものである。

 

 ただ、自分の利益と他人の利益が一致するようになるはずである。いわゆるWin-Winの状況である。自分の利益が他人の損失になるという状況は長続きしないはずである。

 例えば、ホリエモンがIT関連の教育機関を作ったとする。ホリエモンとしてはその教育機関で利益を得られる。そして、社会や他人にとっても、その教育機関の存在は利益である。これが私の考えるWin-Winの状況である。


 そこから、社会に積極的に貢献することが結局ビジネスになり、その貢献量を数値で表したものが売上額であるということに気づくはずである。

 

 そしてお金が十分にある場合は、その社会に対しての自分の存在意義というもの、自分の価値があるということやそれを高めるということに生きがいや目的が移っていくような気がする。

 実際、ビルゲイツやスティーブジョブズなどがそうである。アメリカのIT創業者などは、成功したあとに慈善事業をしたり、多額の寄付をするということが普通であり、アメリカ資本主義の風習である。そのあたりに、キリスト教的な倫理観を感ずる。

 

 ウォルトディズニーはサービスの品質で有名だが、あれだけの規模の資金を子供の遊び、喜びのために投資したのである。ほかにももっと儲かるものがあったはずだが、そこに投資をしたという事実がある。そしてそのサービスの品質を保っているからこそ、長い間その世界が継続し、利益が継続しているはずである。

 

 例えば、ホリエモン希少金属の話では、儲かるということを言っていた。
希少金属を持ち帰って、高価な金属が安くなって今高くて手に入らないような物が安く大量に手に入るようになる」
と言えば、彼は社会のために仕事をしているということがわかるのだが、彼は
「こうすれば(自分が)儲かる」
ということばかり口にするのである。


 このように、彼の投資や行動は、宇宙から希少金属を持ち帰るという1つの行動であり、それは社会に対して1つの効果をもたらすが、彼の目的は常にお金である。社会のことや他人の生活はまるで頭にないようである。社会や他人がどうなろうと、自分が儲かればいい。という精神的態度である。
 2つの見方ができる。
 1つは、「彼が」儲かる。(それを買う人がいるということ)
 1つは「社会に希少金属が提供される」(そしてその希少金属は少し安くなるかもしれない)

 そして、いろいろなチャレンジこそが、社会にエネルギー源として提供されることになる。失敗か成功かが問題ではなく、チャレンジすることが大切である。
 あとは、社会に対して迷惑にならないような経営をすれば、何の問題もないはずである。

 そのあたりは、孫正義社長とは違う。孫社長は、明らかに社会を考えているし、社会を豊かにすることを目的とした投資や言動が常に見られる。ホリエモンにはない視点である。そのあたりが、1兆円と100億円の違いなのかもしれない。

 

 このあたりの経営者の言動や企業の投資活動、販売する商品やサービスにいたるまで、経営者の哲学や倫理観、或いは企業の社風と言われるものが垣間見える場合がある。そのあたりを研究するのも楽しいかもしれない。


 MBAというものは、アメリカでもかなり強い偏見があるようであり、必要ないという意見も多数見聞きするが、経営というものには何かどの経営者も経験するようなものがある。そして、身の回りの大企業の経営方針などを研究すると新聞の経済欄は楽しいものになることもある。

 株式投資をする際にも役に立つのではないかと考える。

 

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自然科学と社会科学の論理について

 社会科学において、論理展開が苦手な日本人がいたりする。

 

 法律はかなり論理的に説明する必要がある。犯罪の証拠から犯人を捜す場合や、有罪を立証するときも、物的証拠から論理的に筋道を立てて説明するのが、検察官と弁護士である。

 

 この論理というものがあって、昔は論理学という専門の領域があったようである。

 

https://ja.wikipedia.org/ 論理学 - Wikipedia

 

 数学は、論理的な考え方を学ぶ道具であり、自然を説明するための道具でもあり、工学のように電気、機械などを利用、操作するための道具でもある。

 

 また、現代では自然科学と社会科学が分かれてしまっていて、社会科学の経済学や社会学、法学、人類学、心理学、哲学などの分野において数学や物理学ほどの厳密さで論理展開がされていないのではないかと考えられる。

 

 日本では、社会科学分野での批判というものが、相手への攻撃ととらえる風潮があるような疑いがある。

 

 物理学や化学、生物学でも理論というものは、その自然現象の説明を部分的にする仮説(仮の説明、間違っている可能性のあるもの)という意味である。

 

 数学のようにすべて正しい理論ではない。数学の場合は、自然とは切り離されて論理的に矛盾がまったくないものということである。そのため、数学の論文は正しさを判定するのに時間がかかるようである。

 

 つまり、自然科学の分野では、誰かが意図して論理を捻じ曲げることは普通はしない。それが常識であり、誰かの都合で自然が変わったりしないという暗黙の了解がある。

 

 そして、対立する仮説や理論などがあった場合、いずれ収束する方向の理論ができたり、理論が修正されたり、便利になって計算しやすくなったりなったりする。

 

日本人の一般常識の欠落について

 日本人は一般常識が欠落している。

それは、自由民主党および全国会議員東京大学の官僚、報道機関かもしくは報道規制などにより、いろいろな事実が隠蔽されているのではないかと考えている。

 

 このせいで、一般市民は世界の常識一切が身につかないまま、江戸時代から2018年になってしまっているのである。

 

 例えば、第2次世界大戦について、それから自由主義について、経済系では、

自由民主党の土地規制、

バイブル崩壊の直接のきっかけとなった土地の総量規制(小渕内閣)とその舞台裏、

日銀の為替介入と国債の大量保有、(日銀の独立性)

日本の国会議員が上流になってしまって特に何もしない(初上司症候群)

資本主義に対する誤解

宗教心、モラルの欠損

説明能力欠如

国会議員や官僚が、江戸時代の封建社会のままになっている

日本医師連盟はそれをうまく利用して診療報酬や研究費用を予算から取得している

日本医師連盟はモラルがないので、権力をハニートラップとマネートラップ、対外批判(アメリカ批判、欧米批判、隣国批判)などで自分たちへの批判を見事にかわしている。

批判精神、論理的批判ができない。(ムカついて終了している、動物である)

 (↑日米の一般市民の大きな違いはこれ↑)

 

地域、都道府県、国などの社会について1度たりとも考えたことがない国会議員と官僚と一般市民

市町村、都道府県、国というものの成り立ちを知らない

 

 

日本政府の赤字国債についての誤解

  日本国債というものは、政府が予算を組むときに税収が足りないことで発行する債券のことである。簡単に言うと借金をして借用書を渡すことに似ている。

 

 政府発行債権とは、借用書のようなものである。政府はいずれ予算から毎年少しずつ返済する必要がある。それを国債の償還(しょうかん)と言ったりする。

 

 日本政府の予算は、100兆円程度である。所得税法人税、消費税などが国税であり、都道府県に収める住民税、地方税ではなく、国税庁管轄下の地方の税務署に支払うことになっている。

 

 その税収は50兆円である。税収が50兆円なのに100兆円の予算を組むのはどういうことかというと、国債の償還(借金返済)に25兆円、新たに国債を発行して25兆円程度ではないかと思う。

 

 100兆円=税収50兆円

       +新規発行40兆円(返済20兆円、実質新規発行20兆円)

       +特別会計へ組み入れ10兆円(年金の資金など)

というのが大まかな状況ではないかと考える。

 

 アメリカの国債発行残高は、日本よりも大きいが、GDPは日本の3倍である。日本の500兆円に対して1,500兆円程度のGDPがある。

 

 以下が、対GDP比の国債発行比率ランキングである。なぜGDPとの比率で比較するかというと、たいていの国はGDPの10%の税収しかないのが現実である。するとそのGDPの10%で予算を組むべきであり、日本の場合、GDP500兆円に対して1,000兆円の赤字があるので、GDPの10%の50兆円をすべて借金返済にしても、20年かかるということである。

ecodb.net

 

 このランキングを見るとわかるように日本は一番赤字が多いということになっている。税収に対して国債が多いランキング堂々の1位である。

 私が「日本はばか」という理由が明らかになったわけである。

 

 予算がゼロで政府というものが存在できるはずはなく、もし予算がゼロのとき、国家公務員や国会議員の年俸がすべてゼロになる。公立病院や公立学校、道路建設、国道、外交、防衛などがすべて無給になる。公共工事もゼロになり、医師への診療報酬支払いもゼロになる。これが、予算ゼロですべての税収で借金返済をするときの状態である。

 

 また、政府の予算は100兆円だが、実質80兆円になり、それがGDP500兆円の一部になっている。民間企業の生産が420兆円ということになる。正確ではないが、政府の予算というものは、GDPへの影響が無視できない程度に大きい。

 

 トヨタ自動車は売上20兆円だが、世界での生産や販売などがあり、日本のGDPには全部は入っていないはずである。それが、GDP, Gross Domestic Products 国内総生産というものである。トヨタの海外工場が生産した自動車は海外のGDPになるはずである。

 

 日本の国債に関して、その保有者は誰なのかというのは、900兆円は中央銀行の日銀と、民間銀行とういことである。あとの100兆円は海外の政府らしい。そのニュースの記事が以下になる。

 

www.nikkei.com

 

 この900兆円の400兆円程度を日銀が保有している。これは買い支えているという状況ではないかと考える。つまり、日銀というものは、通貨の発行と流通量を管理する機関であり、政府のために何かをする機関ではないという原則がある。

 

 政府が借金が多いときに、流通量を増やしてインフレーションにした場合、政府の借金は実質的に目減りすることになる。つまり、政府の借金がどんどん減っていくということになる。

 

 このとき、企業や一般市民で借金があるときは、得をするが資産があるときは損をする。貯金しておいた1,000万円の価値がどんどん目減りしていくことになるからである。民間企業や一般市民が、現金や金利の低い預金などで保有しているとどんどん目減りしていくことになるのである。

 

 緩やかなインフレ2から3%というのが理想とされている。これは、タンス預金を減らす目的があるからである。

 

 そのとき、現行の金利はその2から3%以上あるはずである。それでなければ預金する意味がないからである。

 

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 ↑間違い

 理由:銀行は中央銀行(日銀)から現金を借りることができて、それを企業や一般市民に貸すという業務であり、また、企業や一般市民からの預金を集めて、それを企業や一般市民に貸すという業務もある。そのときに銀行は日銀から現金を借りたほうがいいのか、一般市民の預金を集めて貸出したほうがいいのかということになる。

 

銀行業務の原理的な説明

 預金の金利が日銀の貸出金利と同じか、それより低い場合に預金を集める意味がある。日銀が1%で市中銀行(民間銀行)に貸し出すとき、普通預金や定期預金は、それより低い場合に有利になる。つまり0.75%程度であれば、日銀から借りるよりも預金を集めて貸し出すほうが少し儲かることになる。そして貸出金利(融資の金利)は0.75%とか1%以上であれば、民間銀行は儲かるはずである。

 日銀の貸出金利や預金の金利が1%程度のとき、融資の金利は1%以上になり、例えば3%の融資の金利だった場合、2%が銀行の粗利(ざっくりとした利益)になる。もちろんこの粗利益から人件費や水道光熱費や建物の減価償却費を差し引いて純利益がでることになる。

 このとき、貸出先(融資先)の企業、個人のローンが返済不能になったり、倒産したり、自己破産宣告したりすると、その現金は帰ってこないことになる。わずかな利幅で利益を出している銀行にとっては、それは致命的である。

 そのために、銀行は融資先(貸出先)の企業、個人の信用を厳しくチェックすることになる。そして、倒産や自己破産は日常茶飯事であり、あらかじめそのための準備金を積み上げることになる。それが「貸倒引当金(かしだおれひきあてきん)」というものである。ある程度の基準があり、要注意先というようなランク分けがされており、そのランクに応じて、貸倒引当金を積み上げなければならないことになっているはずである。

 そしてまた、民間銀行は担保というものを要求するが、これはかなりリスクを減らすか、あるいはリスクがまったくない、必ず貸した金は死亡保険金であっても取り返すというようなことをしている。そのような取り立ては、反社会的であり、人道上の問題が大いに疑われる。

 確かに、貸した金を数千万円という単位で返済されないというのは痛いが、そもそも人間が豊かに生きるために考えられた銀行制度が、人殺しを強制するという意味がわからない。

 つまり、銀行があまりにもリスクを減らそうとすると、このような反社会的な行動などになる。一般市民や企業は、逃げようとして借りたわけではないのであり、経済の調子がよくても、景気が良くても、倒産は必ずあるのであって、それに応じた貸倒引当金があるはずである。そしてまた、それに応じた金利設定なども自由にできるはずである。

  この融資や個人金融などは、アメリカでもサブプライムローン(プライムレート、最優遇貸出金利より悪い金利)での融資先の焦げ付きでリーマンショックという経済問題に発展したことがあり、シビアで新しい経済問題である。

 以下が、サブプライムローンに関するWikipediaのページである。

サブプライムローン - Wikipedia

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 つまり、タンス預金でも十分ということになる。現金は持っておいてあとで使おうということになるはずである。本来は、銀行に預金したり、投資したり社会に出回るべきお金がどんどんタンスに増えていった場合、日銀の通貨供給量のコントロールは効かなくなるかもしれない。

 

 2%のインフレーションが10年後には、20%以上になり、30年後には60%以上になるはずである。

 つまり、ハンバーガーが100円の場合、10年後には120円、30年後には160円になるという意味である。これが自動車200万円の場合、10年後には240万円、30年後には360万円になることになる。そして、生活はまったく同じということになるはずである。

 これがインフレーションというものである。

 緩やかなインフレーションという目標は、この現金を使わずにずっと保有してしまって景気が悪化するのを防ぐ目的があるらしい。

 

 金への投資については、ケインズが危機意識を持っていたということだが、確かにタンス預金のように市中(社会)にまったく出ずに、資産が閉じ込められてしまう。現金は金取引業者から流通するはずである。金は、インフレーションに強いが、配当や金利はまったくつかない。

 従って、長期的な投資、年金がわりというような資産は、株式投資投資信託、債券などが好ましい。市中(社会)に出回るためである。投資信託不動産投資信託が今は配当がいい。ただし、日本の場合は微妙なのである。

 アメリカのダウ工業株の中には数十年間配当を出し続けている企業もいくらか存在している。

 

 

日本の政治とアメリカの政治の違いについての個人的考察

 日本の政治とアメリカの政治の違いは、政治献金に対する考え方が大きい。

 

 欧米の場合の政治は、富裕層や街の有力者達が暇なときにいろいろ話会って税金や社会制度などを決めていたという歴史がある。これはヨーロッパの貴族や王族などの文化である。日本の場合も地方大名や地方の富裕層、豪族と言われる人達がある程度の影響力がある場合がある。

 

 現在でも愛知県などは、トヨタ自動社株式会社の城下町と言われたりすることもある。また、茨城県日立製作所の発祥地かもしれない。静岡県はホンダ自動車などが創業された街である。さらに、関西は鉄道会社なども有名らしい。

 

 このような会社の創業者達は、会社の利益だけでなく、社会全体の経済興隆などに対して行動したりする。それは、市長が動かす市の予算よりも、その会社の社長や取締役の予算の金額のほうが街に影響を与えるなどがあるためではないだろうか。

 

 例えば、トヨタ自動車の売上高は年間20兆円であり、利益が2兆円である。利益とは費用、人件費などを引いた金額が2兆円ということである。あと、経常利益、営業利益、税引き後利益というものもある。ちなみに沖縄県の予算は8,000億円、石垣市は200億円程度である。

 

 日本の政治では、政治献金に対してアメリカと比較して厳しい目が向けられる。これは社会の豊かさが違うことも原因の一つである。それから、アメリカの民主党政治資金パーティーと言って、民間人からの寄付を募ったり、企業からの寄付ももしかしたらあるかもしれない。

 そして、アメリカの共和党の歴代大統領は、富裕層が多い。現代のトランプ大統領も富裕層であり、ブッシュ元大統領もテキサスの農場経営者で富裕層であり、かつテキサス州知事の経験がある。

 

 また、アメリカの民主党の場合、リベラル(自由、人文的な意味の)という立場であり、社会福祉を厚くし労働者を保護するという立場を取る政党である。失業者対策や移民対策、外国人移民などにも社会福祉の視線を持っているらしい。

 

 共和党の場合は、政治献金はロビー活動という政治家に献金をしたりしなかったり業界団体の要望などを聞いたり、話し合ったりする場所であるらしい。具体的にはどこか知らない。多分、ワシントンDCの議会などかもしれない。

 

 そして、アメリカの場合は、政治家の発言から、その業界団体の影響を見る目が一般市民にあるのが常識である。道路建設なのか、医療系の問題なのか、保険の問題なのか、失業者の問題、経済の問題など、政治家の話や議論などからそれを見抜く目ができている。そして、その政策は献金があってもなくても一般市民や社会に役に立つと思えばその政策に投票するという姿勢がアメリカの一般市民の政治に対する姿勢である。

 

 日本の場合、それができていなため、政治家が全部ウソつきであり、社会のことは何も考えていないという認識を一般市民は持ってしまっている。例えば、自民党の場合であっても、年金や雇用、電子政府(官僚系の発案かもしれない)、あるいは、族議員などの存在があって、それぞれの業界団体の要望というか利益を取り入れている。

 

 例えば、自動車業界があり、土木建築業界、電機業界、電力業界、医療業界、製薬業界、出版業界、IT業界などがある。厚労族とか道路族、などという族議員という議員達が自民党には存在している。

 

 日本の場合には、アメリカのように政治家が富裕層ではなく、民間からの政治資金募集もない状態で、選挙に勝つのは不可能である。つまり政治には選挙に勝つだけの資金が必要である。

 

 チラシ、ポスター、選挙カー、有力者、業界団体との付き合い、意見交換、飲み会への出席、「あいつは、この業界のことを何も聞かない政治家だ」と言われないように出席したり意見を交換したりする必要があるはずである。

 

 近所付き合いの業界団体版のようなものが日本の場合は大きいだけである。例えば、石垣市の場合は、社会が小さいため全部見えるし、悪いうわさはすぐに広まるなどして、東京のように腐敗が進みにくい。

 

 また、日本人一般が政治献金に異常に厳しいのは、いくつかの理由があるが、そのせいで何もできない状態になっていないかとか、富裕層のような人が政治家になれないのか、貧乏人が政治家になって社会主義のようなものになっているのかといういくつかの原因があるかもしれない。

 

 そして、また日本の政治家も積極的に意見を聞いて政策に反映するという努力が見えず、医師連盟などの業界団体の意見ばかり取り入れている。

 一般市民は、これを見抜いて次回の衆議院議員選挙では、投票すれば、少しは消費税の増税や、赤字国債の乱発は止められるかもしれない。

 

 

Study of Japanese culture

 

Study of Japanese culture

 We have noticed some differences Tokyo culture and Osaka culture.

Language and mental attitudes are different.

 

 From the historical stand point of view, the SEKIGAHARA war was the last civil war in Japan to united of Japan in 17th century.

 

 The SEKIGAHARA war was the fight of East and West of Japan.

 The East Shogun was Tokugawa and the West Shogun was Terumoto Mori and Mitsunari Ishida.

 The East won the war and begun Edo Era by Tokugawa in Edo Bakufu, Edo government in Tokyo.

 

 Interesting thing is not the war itself. The culture are different and they still speak different languages. They can understand and Japan has standard language.

 

 The proof that the war remine today is the Comedy battle of East and West.

Sometime they too much exite and punching and kicking each other, unbelievable.

 It is sure that the SEKIGAHARA war end in 17th century, 1600, the Adam Smith and Issac Newton had lived at that time.

Culture may continue over 400 years.

 

 Another reason of these differences are the Temples. Nara Era and Kamakura Era.

 DAIBUTSU means Buddism Statue of the Budda. These are the NARA’s DAIBUTSU and KAMAKURA’s DAIBUTSU.

 Nara Era was 710 to 794. Kamakura Era was 1185 to 1333.

 Nara is Nara Prefecture the West of Japan near Osaka. Kamakura is Kanagawa Prefecture the East of Japa near Tokyo.

 In Nara Era, there was a capital of Japan in Nara. There was a Heijo Castle, and Heian Castle.

 The Name of Heian Era is the time from beginning of Heian Castle and the beginning of Kamakura Castle. It is 400 years.

 One hypothesis said Capital of Japan was moved in Tokyo at 1869 from Kyoto, the meaning is the west people do not recognize the Kamakura government was the Capital of Japan.

 One difference is that Kamakura was the Samurai governmnet, its means warrior, the west people said they are barbarian.

 

French

Étude de la culture japonaise

Nous avons remarqué quelques différences entre la culture de Tokyo et la culture d'Osaka.
La langue et les attitudes mentales sont différentes.

Du point de vue historique, la guerre SEKIGAHARA fut la dernière guerre civile au Japon à s'unir du Japon au 17ème siècle.
 
La guerre SEKIGAHARA était la lutte de l'Est et de l'Ouest du Japon.
Le shogun oriental était Tokugawa et le shogun occidental était Terumoto Mori et Mitsunari Ishida.
 
L'Est a gagné la guerre et a commencé Edo Era par Tokugawa à Edo Bakufu, le gouvernement d'Edo à Tokyo.

 
Chose intéressante n'est pas la guerre elle-même. La culture est différente et ils parlent toujours des langues différentes. Ils peuvent comprendre et le Japon a un langage standard.
 
La preuve que la guerre remonte aujourd'hui est la bataille de la Comédie de l'Est et de l'Ouest.
 
Parfois, ils s'excitent trop et se donnent des coups de pied et des coups de pied, incroyable.
 
Il est certain que la fin de la guerre SEKIGAHARA au 17ème siècle, 1600, Adam Smith et Isaac Newton avaient vécu à cette époque.
 
La culture peut continuer plus de 400 ans.

 
Une autre raison de ces différences sont les temples. L'ère de Nara et l'ère de Kamakura.
DAIBUTSU signifie Buddism Statue de la Budda. Ce sont le DAIBUTSU de NARA et le DAIBUTSU de KAMAKURA.
L'ère de Nara était de 710 à 794. L'ère de Kamakura était de 1185 à 1333.
 
Nara est la préfecture de Nara à l'ouest du Japon près d'Osaka. Kamakura est la préfecture de Kanagawa à l'est de Japa près de Tokyo.
 
À l'ère de Nara, il y avait une capitale du Japon à Nara. Il y avait un château Heijo et le château de Heian.
Le nom de Heian Era est le temps depuis le début du château de Heian et le début du château de Kamakura. C'est 400 ans.
 
Une hypothèse a dit capitale du Japon a été déplacé à Tokyo à 1869 de Kyoto, le sens est que les gens de l'Ouest ne reconnaissent pas le gouvernement de Kamakura était la capitale du Japon.
 
Une différence est que Kamakura était le gouvernement samouraï, son moyen guerrier, les gens de l'ouest ont dit qu'ils sont barbares.

 

Greek

Μελέτη της ιαπωνικής κουλτούρας

Έχουμε παρατηρήσει κάποιες διαφορές στον πολιτισμό του Τόκιο και στον πολιτισμό της Οζάκα.
Η γλώσσα και οι νοητικές συμπεριφορές είναι διαφορετικές.

Από ιστορικής σκοπιάς, ο πόλεμος του SEKIGAHARA ήταν ο τελευταίος εμφύλιος πόλεμος στην Ιαπωνία που ενωμένο με την Ιαπωνία τον 17ο αιώνα.
 
Ο πόλεμος του SEKIGAHARA ήταν ο αγώνας της Ανατολής και της Δύσης της Ιαπωνίας.
Ο Ανατολικός Shogun ήταν Tokugawa και ο Δυτικός Shogun ήταν ο Terumoto Mori και ο Mitsunari Ishida.
 
Η Ανατολή κέρδισε τον πόλεμο και άρχισε την Edo Era από τον Tokugawa στο Edo Bakufu, κυβέρνηση Edo στο Τόκιο.

 
Το ενδιαφέρον δεν είναι ο ίδιος ο πόλεμος. Ο πολιτισμός είναι διαφορετικός και εξακολουθούν να μιλούν διαφορετικές γλώσσες. Μπορούν να καταλάβουν και η Ιαπωνία έχει τη συνήθη γλώσσα.
 
Η απόδειξη ότι ο πόλεμος παραμένει σήμερα είναι η μάχη της Κωμωδίας Ανατολής και Δύσης.
 
Κάποια στιγμή ξαφνιάζουν και χτυπούν και χτυπούν ο ένας τον άλλον, απίστευτο.
 
Είναι βέβαιο ότι το τέλος του πολέμου του SEKIGAHARA τον 17ο αιώνα, το 1600, ο Adam Smith και ο Issac Newton ζούσαν εκείνη την εποχή.
 
Ο πολιτισμός μπορεί να συνεχιστεί για περισσότερα από 400 χρόνια.

 
Ένας άλλος λόγος αυτών των διαφορών είναι οι Ναοί. Η εποχή της Νάρας και η εποχή του Καμάκουρα.
Το DAIBUTSU σημαίνει το άγαλμα του Βουδισμού του Budda. Αυτά είναι το DAIBUTSU της NARA και το DAIBUTSU του KAMAKURA.
Η εποχή της Νάρας ήταν 710 έως 794. Η εποχή Kamakura ήταν 1185 έως 1333.
 
Η Νάρα είναι νομός Νάρα δυτικά της Ιαπωνίας κοντά στην Οσάκα. Το Καμακούρα είναι ο νομός Kanagawa της Ανατολής της Ιαπων κοντά στο Τόκιο.
 
Στην Nara Era, υπήρχε πρωτεύουσα της Ιαπωνίας στη Nara. Υπήρχε ένα κάστρο Heijo και το κάστρο Heian.
Το όνομα της εποχής Heian είναι η εποχή από την αρχή του Κάστρου Heian και την αρχή του κάστρου Kamakura. Είναι 400 χρόνια.
 
Σύμφωνα με μια υπόθεση, η πρωτεύουσα της Ιαπωνίας μεταφέρθηκε στο Τόκιο το 1869 από το Κιότο, το νόημα είναι ότι οι δυτικοί άνθρωποι δεν αναγνωρίζουν ότι η κυβέρνηση Kamakura ήταν η πρωτεύουσα της Ιαπωνίας.
 
Μια διαφορά είναι ότι ο Καμακούρα ήταν ο κυβερνήτης του Σαμουράι, ο πολεμιστής του μέσα, οι δυτικοί είπαν ότι είναι βάρβαροι.

 

Italian

Studio della cultura giapponese

Abbiamo notato alcune differenze nella cultura di Tokyo e nella cultura di Osaka.
Linguaggio e atteggiamenti mentali sono diversi.

Dal punto di vista storico, la guerra di SEKIGAHARA fu l'ultima guerra civile in Giappone ad unirsi in Giappone nel 17 ° secolo.
 
La guerra di SEKIGAHARA è stata la lotta dell'est e dell'ovest del Giappone.
L'East Shogun era Tokugawa e lo Shogun occidentale era Terumoto Mori e Mitsunari Ishida.
 
L'Oriente vinse la guerra e iniziò l'era Edo di Tokugawa in Edo Bakufu, il governo Edo a Tokyo.

 
La cosa interessante non è la guerra stessa. La cultura è diversa e parlano ancora lingue diverse. Possono capire e il Giappone ha una lingua standard.
 
La prova che la guerra è rimasta oggi è la battaglia della commedia dell'est e dell'ovest.
 
A volte loro esitano e si prendono a pugni e calci l'un l'altro, incredibile.
 
È certo che la guerra di SEKIGAHARA finì nel 17 ° secolo, 1600, l'Adam Smith e Issac Newton avevano vissuto in quel momento.
 
La cultura può continuare per oltre 400 anni.

 
Un'altra ragione di queste differenze sono i templi. Era di Nara e Era di Kamakura.
DAIBUTSU significa Buddism Statue of the Budda. Questi sono DAIBUTSU di NARA e DAIBUTSU di KAMAKURA.
Era Nara era 710 a 794. Era Kamakura era 1185-1333.
 
Nara è la prefettura di Nara nell'ovest del Giappone vicino a Osaka. Kamakura è la prefettura di Kanagawa, l'est del Japa vicino a Tokyo.
 
In Nara Era, c'era una capitale del Giappone a Nara. C'era un castello di Heijo e il castello di Heian.
Il nome dell'era Heian è il tempo dall'inizio del castello di Heian e l'inizio del castello di Kamakura. Sono 400 anni.
 
Un'ipotesi ha detto che la capitale del Giappone fu spostata a Tokyo nel 1869 da Kyoto, il significato è che la gente dell'ovest non riconosce che il governo di Kamakura era la capitale del Giappone.
 
Una differenza è che Kamakura era il governmnet dei samurai, i suoi mezzi guerrieri, la gente dell'ovest diceva di essere barbari.

 

 

Spanish

Estudio de cultura japonesa

Hemos notado algunas diferencias en la cultura de Tokio y la cultura de Osaka.
El lenguaje y las actitudes mentales son diferentes.

Desde el punto de vista histórico, la guerra SEKIGAHARA fue la última guerra civil en Japón a unida de Japón en el siglo XVII.
 
La guerra de SEKIGAHARA fue la lucha del este y el oeste de Japón.
El East Shogun era Tokugawa y el West Shogun era Terumoto Mori y Mitsunari Ishida.
 
El Este ganó la guerra y comenzó Edo Era por Tokugawa en Edo Bakufu, gobierno de Edo en Tokio.

 
Lo interesante no es la guerra en sí misma. La cultura es diferente y todavía hablan diferentes idiomas. Ellos pueden entender y Japón tiene un lenguaje estándar.
 
La prueba de que la guerra remine hoy es la batalla de Comedia de Oriente y Occidente.
 
En algún momento ellos exiten demasiado y se golpean y patean entre sí, increíble.
 
Es seguro que el fin de la guerra SEKIGAHARA en el siglo XVII, 1600, el Adam Smith y el Newton Issac habían vivido en ese momento.
 
La cultura puede continuar durante más de 400 años.

 
Otra razón de estas diferencias son los Templos. Nara Era y Kamakura Era.
DAIBUTSU significa Buddism Statue of the Budda. Estos son DAIBUTSU de NARA y DAIBUTSU de KAMAKURA.
Era Nara era 710 a 794. Era de Kamakura era 1185 a 1333.
 
Nara es la prefectura de Nara, al oeste de Japón, cerca de Osaka. Kamakura es la prefectura de Kanagawa, al este de Japa, cerca de Tokio.
 
En Nara Era, había una capital de Japón en Nara. Había un castillo de Heijo y el castillo de Heian.
El Nombre de la Era Heian es el tiempo desde el comienzo del Castillo Heian y el comienzo del Castillo Kamakura. Son 400 años.
 
Una de las hipótesis dice que la capital de Japón se trasladó a Tokio en 1869 desde Kyoto, lo que significa que la gente del oeste no reconoce que el gobierno de Kamakura fuera la capital de Japón.
 
Una diferencia es que Kamakura era el gobierno de Samurai, su medio guerrero, la gente del oeste dijo que eran bárbaros.

 

 

Russian

Изучение японской культуры

Мы заметили некоторые различия в культуре Токио и культуре Осаки.
Язык и умственные отношения разные.

С исторической точки зрения война SEKIGAHARA была последней гражданской войной в Японии, объединенной Японией в 17 веке.
 
Война SEKIGAHARA была борьбой Востока и Запада Японии.
Восточный сёгун был Токугава, а Западный Сёгун был Терумото Мори и Мицунари Ишида.
 
Восток выиграл войну и начал Эдо Эру Токугава в Эдо Бакуфу, правительство Эдо в Токио.

 
Интересная вещь - это не сама война. Культура отличается, и они все еще говорят на разных языках. Они могут понять, и Япония имеет стандартный язык.
 
Доказательством того, что война сегодня воссоздается, является комедийная битва Востока и Запада.
 
Когда-то они слишком много выходят, пихают и пинают друг друга, невероятно.
 
Уверен, что война SEKIGAHARA закончилась в 17 веке, 1600, в то время жили Адам Смит и Исаак Ньютон.
 
Культура может продолжаться более 400 лет.

 
Другая причина этих различий - Храмы. Нара Эра и эра Камакура.
DAIBUTSU означает статую Буддизма Будды. Это DAIBUTSU НАРА и DAIBUTSU КАМАКУРА.
Нара-эра составляла 710-794 года. Эпоха Камакура составляла 1185-1333.
 
Нара - префектура Нара на западе Японии недалеко от Осаки. Камакура - префектура Канагава, восточнее Джапы, недалеко от Токио.
 
В Нара-Эре в Наре была столица Японии. Был замок Хейдзё и замок Хейан.
Название Хейан Эры - это время от начала Хейанского замка и начало замка Камакура. Это 400 лет.
 
Согласно одной из гипотез, столица Японии была переведена в Токио в 1869 году из Киото, смысл в том, что западные жители не признают, что правительство Камакуры является столицей Японии.
 
Одно из отличий заключается в том, что Камакура был самурайским правительством, его средством воинами, западные люди говорили, что они варвары.

 

Arabic

دراسة الثقافة اليابانية

 لقد لاحظنا بعض الاختلافات في ثقافة طوكيو وثقافة أوساكا.

اللغة والمواقف العقلية مختلفة.

 

 
من وجهة النظر التاريخية ، كانت حرب سيكيجاهارا هي الحرب الأهلية الأخيرة في اليابان التي اتحدت في اليابان في القرن السابع عشر.

 

 
كانت حرب SEKIGAHARA حرب شرق وغرب اليابان.

 
كان شوغون الشرقية توكوغاوا وكان الغرب شوغون Terumoto موري و Mitsunari إيشيدا.

 
وفاز الشرق بالحرب وبدأ إيدو إيرا بتوكوغاوا في إيدو باكوفو ، حكومة إيدو في طوكيو.

 

 
الشيء المثير للاهتمام ليس الحرب نفسها. الثقافة مختلفة وما زالت تتكلم لغات مختلفة. يمكن أن يفهموا واليابان لديها لغة قياسية.

 

 
الدليل على أن الحرب تتحول اليوم هي معركة الكوميديا ​​في الشرق والغرب.

في وقت ما أنها أكثر من حداد واللكم والركل بعضها البعض ، لا يصدق.

 
من المؤكد أن نهاية حرب سيكيجاهارا في القرن السابع عشر ، 1600 ، آدم سميث وإسحاق نيوتن عاشوا في ذلك الوقت.

قد تستمر الثقافة أكثر من 400 سنة.

 

 
سبب آخر لهذه الاختلافات هي المعابد. Nara Era and Kamakura Era.

 
DAIBUTSU يعني تمثال بوذا من بوذا. هؤلاء هم DAIBUTSU NARA و DAIBUTSU KAMAKURA.

 
كان Nara Era من 710 إلى 794. وكان Kamakura Era من 1185 إلى 1333.

 
نارا هي محافظة نارا غرب اليابان بالقرب من أوساكا. كاماكورا هي محافظة كاناغاوا شرق جابا بالقرب من طوكيو.

 
في نارا إيرا ، كانت هناك عاصمة اليابان في نارا. كان هناك قلعة Heijo ، وقلعة هيان.

 
اسم عصر هيان هو الوقت من بداية قلعة هيان وبداية قلعة كاماكورا. إنها 400 سنة.

 
وقالت إحدى الفرضيات أن عاصمة اليابان نقلت في طوكيو في عام 1869 من كيوتو ، ومعنى ذلك هو أن الغرب لا يعترف بأن حكومة كاماكورا كانت عاصمة اليابان.

 
أحد الفوارق هو أن كاماكورا كانت حاكمة الساموراي ، محاربها يعني أن الغربيين قالوا إنهم بربريون.

 

 

 

Chinese

 

 

我们注意到东京文化和大阪文化存在一些差异。
语言和心理的态度是不同的。

 
从历史的角度来看,SEKIGAHARA战争是17世纪日本联合日本的最后一次内战。
 
SEKIGAHARA战争是日本东部和西部的战斗。
 
东面的将军是德川,西面的将军是泰茂森和石田三成
 
东方赢得了战争,并在东京的江户政府的江户幕府开始了德川时代的江户时代。

 
有趣的事情不是战争本身。文化不同,他们仍然说不同的语言。他们可以理解,日本有标准语言。

 
今天的战争再造是东西方喜剧战争的证明。
有时候,他们太激动了,冲刺和踢对方,令人难以置信。

 
可以肯定的是,SEKIGAHARA战争在17世纪1600年代结束,当时亚当史密斯和伊萨克牛顿曾经生活过。

文化可能会持续400多年。
 
这些差异的另一个原因是庙宇。奈良时代和镰仓时代。

 
DAIBUTSU意指Budda的佛教雕像。这些是NARA的DAIBUTSU和KAMAKURA的DAIBUTSU。
 
奈良时代710至794年。镰仓时代是1185年至1333年。
 
奈良是日本西部的奈良县,靠近大阪。镰仓是东京附近的日本东部的神奈川县。
 
在奈良时代,奈良有日本首都。有一座Heijo城堡和Heian城堡。
 
平安时代的名称是从平安城开始到镰仓城开始的时间。这是400年。
 
一个假说说日本首都于1869年从京都迁入东京,意思是西方人不承认镰仓政府是日本首都。

 
一个区别是镰仓是武士政府,它的意思是战士,西方人说他们是野蛮人。

 

 

Japanese

日本文化の研究

 

 東京文化と大阪文化の違いに気づいた。

 言語と精神的態度が異なる。

 歴史的な立場から見ると、いくさは17世紀に日本が統一した最後の内戦である関ヶ原の戦いは日本の東西戦であった。
東の将軍は徳川であり、西の将軍は毛利輝元と石田光成であった。東軍が戦に勝ち、江戸時代が始まることとなる。

 
興味深いのは戦いそのものではない。文化が異なり、彼らはまだ異なる言語を話す。しかしながら、彼らは互いに理解することができ、日本には標準的な言語がある。

 今日にもその戦いの影響が残り、東西お笑い対決などがある。彼らは時にエキサイトしすぎて、お互いに殴る蹴るの暴行を演じることもある。信じられない。

 関ヶ原の戦いが起こった頃というの
は17世紀であり、1600年ごろ、すなわちアダム・スミスアイザック・ニュートンが生きている時代である。
 
文化というものは400年以上続くのだろうか。

 東西の文化の
違いとして、挙げられる、もう一つの理由は寺院である。奈良時代から鎌倉時代という時代がある。奈良の大仏と鎌倉の大仏として有名な2つの大仏がある。大仏とは仏陀の仏像である。奈良時代は710〜794であり、鎌倉時代は1185〜1333年である。

 

 奈良時代の奈良とは大阪近郊の現代の奈良県であり、鎌倉とは現代の神奈川県であり、東京の隣の県である。奈良時代には、奈良に日本の首都があり、平城京平安京があった。
 平安時代とは、平安京の始まりから鎌倉幕府の始まりまでの期間であり、400年程度になる。

 一つの仮説は、日本の首都は京都から1869年に東京に移されたという意味で、関西の人々は鎌倉政府が日本の首都であったとは認識していないということである。

 その理由として挙げられるのは、鎌倉時代武家社会であり、武家とは侍などの戦士を意味し、関西の人々はそれを野蛮人と主張している。また、京都の人は、大阪の人をも野蛮人と言うらしい。

 また、このようなかなり詳細な「太政官の移動により首都が遷都」などという事実は、日本人でも知られていないようである。私も今日始めて知った。

 

日本国におけるエネルギー開発の状況

 

 日本国のエネルギーの生産は、ほぼゼロであり、ほとんどを輸入に頼っている。97%程度は輸入エネルギーである。

 その内訳は、原子力のウラン、火力の石油、ガスになる。あとは水力などがある。

また、東日本大震災の教訓から、原子力への風当たりも強くなっており、当初考えられていた、原子力エネルギーのコストは、火力や水力を上回るだろうと考えられている。

 つまり、一番安いエネルギーと考えられていた原子力発電のエネルギーが、実はそれほど安くはないということが判明しつつある。

 

 日本の原子力発電所を全部停止して火力等で運用していた時期があり、そのせいもあって、太陽光の設置と余剰電力の電力会社への販売などでしのいでいたということも言える。

 

 そのため、太陽光や風力などへの関心がかなり強くなってきている。また、石油元売り企業(ShellやBP:British Petrolem)などの企業が警戒感を持っている可能性もあるが、東南アジアやその他の発展途上国などが、日本と同じ程度に経済発展をした場合、この石油だけでは、その経済発展を支えるのは、ほぼ不可能である。つまり、石油はどれだけあっても不足するだろうと考えられる。

 このとき、エネルギーが不足するから経済活動を抑制するという発想では、経済発展は不可能である。つまり、エネルギー消費がどれだけあっても、それを賄えるだけの供給能力が必要なのである。

 そのために、太陽光や風力などの自然エネルギーの活用が必須と考える。石油が必要ないのではなく、さらに必要であり、経済発展の妨げになるくらいに不足するし、現在もその石油の価格のために、発展途上国のエネルギー不足は解消されていないはずである。

 

 太陽光パネル1枚で、小さな液晶テレビが見れるのである。太陽光パネル1平米で100Wの電力が発電できる。1kwh程度の発電をするためには、10平米、1平米のパネル10枚で済む。

 

 つまり、エネルギー(石油など)が不足してる場所、自治体などではそれだけでエネルギーを自給自足できる可能性がある。

 

 現在、そのエネルギーの開発が盛んになっており、アメリカ合衆国での電気自動車を開発販売するテスラや自動車製造会社各社も、ハイブリッド自動車や電気自動車の開発にしのぎを削っている状況である。

 電気の力は想像以上にパワフルであり、蒸気機関車以上である。日本の電車、それから新幹線は電気で走っているのである。

 

 現在、電気は発電は太陽光や風力などの新しい発電方法があるが、電力の蓄積の蓄電という技術が不足している。期待のリチウムイオン電池もコストの問題が解決されるかどうかという段階であり、現在でも大容量の蓄電というものはコストの面で微妙な状況である。

 

 以下にエネルギー開発のリンクなどを上げておくので、参照いただければと思う。

 

techfactory.itmedia.co.jp

www.fepc.or.jp

 これは、宮古八重山共和国がどうとか関係なく、エネルギーが必要な国や場所にはすべて同じことが言える。エネルギーを自給できる、輸出可能な国は、中東やロシア、アメリカなどである。あとは、そこから石油やガス、ウランなどを買っている状況である。

 

 以下に、日本の石油元売り企業とアメリカ合衆国の企業の記事を上げておくので、参考にしていただきたい。

 

www.nikkei.com

 

www.statista.com

  現在のところデフレ−ションの脱却ということが言われており、原油価格の上昇で株価などの指標が上昇したりするが、エネルギー価格の上昇というのは、基本的にに経済活動の阻害要因であり、発展途上国にとっては、厳しい状況になるだろうと考えられる。

 エネルギー価格の上昇は、あらゆる生産活動の費用、コストを上昇させるためである。つまりインフレーションになる要因でもある。

 

 また、日本のガソリンや電気料金は、アメリカ合衆国と比較して2倍から3倍程度高い。ガソリンは1ガロン(3.7リットル)で2ドルから3ドル。日本式で言うと1リットル54円から81円である。